心静《こころしず》かに余生《よせい》を送《おく》る

心静《こころしず》かに余生《よせい》を送《おく》るのがよいと思《おも》うが……。』いろいろ言葉《ことば》を尽《つく》してすすめられたのでありますが、私《わたくし》としては今更《いまさら》親元《おやもと》へもどる気持《きも》ちにはドーあってもなれないのでした。私《わたくし》はきっぱりと断《ことわ》りました。――『思召《おぼしめし》はまことに有難《ありがと》うございまするが、 一たん三浦家《みうらけ》へ嫁《とつ》ぎました身《み》であれば、再《ふたた》びこの地《ち》を離《はな》れたくは思《おも》いませぬ。私《わたくし》はどこまでも三崎《みさき》に留《とど》まり、亡《な》き良人《おっと》をはじめ、一|族《ぞく》の後《あと》を弔《とむら》いたいのでございます……。』 私《わたくし》の決心《けっしん》の飽《あく》まで固《かた》いのを見《み》て、両親《りょうしん》も無下《むげ》に帰家《きか》をすすめることもできず、そのまま空《むな》しく引取《ひきと》って了《しま》われました。そして間《ま》もなく、私《わたくし》の住宅《すまい》として、海《うみ》から二三|丁《ちょう》引込《ひっこ》んだ、小高《こだか》い丘《おか》に、土塀《どべい》をめぐらした、ささやかな隠宅《いんたく》を建《た》ててくださいました。私《わたくし》はそこで忠実《ちゅうじつ》な家来《けらい》や腰元《こしもと》を相手《あいて》に余生《よせい》を送《おく》り、そしてそこでさびしくこの世《よ》の気息《いき》を引《ひ》き取《と》ったのでございます。 落城後《らくじょうご》それが何年《なんねん》になるかと仰《お》ッしゃるか――それは漸《ようや》く一|年余《ねんあま》り私《わたくし》が三十四|歳《さい》の時《とき》でございました。まことに短命《たんめい》な、つまらない一|生涯《しょうがい》でありました。 でも、今《いま》から考《かんが》えれば、

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