恋愛に対し

 恋愛に対し、婦人に対して、トルストイの抱いていた宗教的・道徳的見解を今日から見れば或る意味で主観的であり独断的である罪業感であったと云える。貴族の夫人、娘としての周囲の日暮しにも批判をもち、子供を生み、それを辛苦して育てることばかりが、性の放逸と女の下らなさを浄化するという風に考えていたのであった。社会的な規模で婦人の生活は考えられず、ジョルジ・サンドをも嫌悪した。この婦人に対する一見知的で実は感覚的なものの上に立つ思想はトルストイの全芸術を貫く一つの著しい基調となっている。 トルストイアンと称する連中(ゴーリキイの観察によれば、その大部分が鼻もちならぬ連中であった)にとりかこまれ、無抵抗主義の信条で、全財産を放棄したがっているトルストイの希望に、怯え、憎悪し、それとの闘争に立ち向った第一の人は夫人ソフィヤと五男のアンドレイであった。ソフィヤ夫人は、子供等に対する家庭の父親の義務としてトルストイを責め、その考えに反対してアンドレイを先頭に立てた一群の息子たちは、当然息子に分けられるべき財産を、トルストイのとりまき共に横領されまいとする息子の権利[#「息子の権利」に傍点]の上に立って。 この諍《いさか》いは、ソフィヤ夫人が直接トルストイの出版者であったという事情から、益々紛糾した。今や世界のトルストイが晩年に至って書きのこす日記の一冊、一枚のメモ、それは出版経営者としてのソフィヤ夫人が洩すところなく「私の[#「私の」に傍点]出版」に収録しようと欲するところであり、而も、トルストイの親友と称する連中も亦「未発表」の何ものかを獲ようととびめぐっている。トルストイは「この争いに生理的に耐え得なくなって来た」。八十二歳のトルストイは、日頃から家庭にある殆ど唯一の理解者、三女のアレクサンドラに手つだわせて家出をした。僧院に向う途中、トルストイはアスタポヴォという寒村の小駅で、急に肺炎をおこして亡くなったのであった。 レフ・トルストイは、全生涯を賭して解決し得なかった諸矛盾のまことに正直な、潔白な負い手として傷つきながら、「自分にとったより遙かに多くのものを」ソフィヤ夫人と八人の子供達とにのこして、死んだのである。

— posted by id at 07:23 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1434 sec.

http://1yen.tv/