頭の中は戦争のことで一杯だった

 実際彼は、その仕事を心から楽しんでいるらしい。嘗ては彼も、頭の中は戦争のことで一杯だったろう。その脳中のジャングルを、いつしか彼は切り開き、清凉な風を吹き通らせ、仕事に喜びを見出したのである。戦争のことなどはもうたくさんだ。 周囲を顧れば、ジャングル頭がまだ随分と多い。政治家は政治家なりに、官僚は官僚なりに、学生は学生なりに、街のボスはボスなりに、右翼思想家は右翼思想家なりに、左翼思想家は左翼思想家なりに、何等かの意味でジャングル頭が多い。 ここにジャングル頭というのは、邪教教祖的頑迷さが石塊のように脳裡に蟠居してるものを指す。自分でそれを詰め込んだのもあろうし、他から詰め込まれたのもあろうが、その特質としては、自己の思慮の奴隷となり傀儡となって、決して他人の言説に耳を貸さないことだ。日本には現在大小合せて万に近い巷の教祖があり、その信者は百万に達するとか。そういう民度の段階だから、ジャングル頭の多いのも怪しむに足らない。 ただ、注意を要するのは、これを信念と混同してはいけない。信念とは言うまでもなく、前方に何等かの理想と光明とを掲げ、それへ向って公明な歩調で進んでゆき、途中の障害にたじろがないことだ。盲目でも聾でもなく、息吹きは明朗である。斯かるまことの信念の精神が、残念ながら日本には甚だ少い。それに反比例して、ジャングル頭が甚だ多い。これは盲目で聾だ。 メクラ、ツンボ、と言えば、非人情なことには、物怖じしない者の例として持ち出される。然し、物怖じしない代りには、何かに激発されれば、自らは兇器を振り廻すことがある。ジャングル頭も同様で、そこに、暴力肯定の温床がある。 日本は既にその憲法によって、戦争を放棄した。この崇高な理想を達成するには、先ず、如何なる場合にも武器を手に執らないとの決意が必要であるし、その前に先ず、暴力否定の決意が必要である。それ故に猶更、ジャングル頭の追放が要請される。 矮躯短脚の上に巨大な毛髪ジャングルを乗っけたお化け姿も、見っともないものではあるが、石をつめこんだような重いジャングル頭でふらふら歩いてる姿は、見っともない以上に危険である。だがそれも、駈足で歩いてる時代の副産物なのであろうか。 駈足といえば、ここでちょっと、御婦人への失礼のうめ合せをしておこう。女競輪を御覧なさい。あの軽快な自転車の上に、巨大なお尻をぐるぐるとゆさぶって、疾走している後姿だ。スマートな機械と偉大な肉体との対照は、グロテスクとも言えるが、見ようによっては、またなかなか趣き深いところもある。ゴム輪は一直線に小揺ぎもなく走っているのに、その上に乗っかった巨大なお尻は、ゆらゆらぐるぐる、餅をこね廻してるかのようだ。その両者が対照の妙を極めて、疾走し続けるのである。万事がこの調子で運行してゆけば、まず世の中は平和で安泰だと言えるであろうか。

— posted by id at 07:30 pm  

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