午時《ひる》も過ぎたところで

そのうちに午時《ひる》も過ぎたところで、東の方からかの稚児髷の少女が来た。女の家は直《す》ぐそこであった。それは門も家も大きく、蔀おろし簾たれこめた夢の中に見たのとすこしもかわらない家であった。少女が入って往って、「傘の主|詣《もう》で給うを誘《いざな》い奉る」と云うと、真女児が出て来て、南面《みなみおもて》の室《へや》に豊雄をあげた。板敷の間に床畳《とこだたみ》を設けた室で、几帳御厨子《きちょうみずし》の餝《かざり》、壁代《かべしろ》の絵なども皆古代のもので、倫《なみ》の人の住居ではなかった。真女児は豊雄に御馳走《ごちそう》した。真女児は己《じぶん》はこの国の受領の下司《しもづかさ》県《あがた》の何某《なにがし》が妻であったが、この春夫が歿《な》くなったので、力と頼むものもない。「昨日《きのう》の雨のやどりの御恵に、信《まこと》ある御方《おんかた》にこそとおもう物から、今より後《のち》の齢《よわい》をもて、御宮仕《おんみやづかえ》し奉らばや」と云った。豊雄は元より願うところであるが、「親兄弟《おやはらから》に仕うる身の、おのが物とては爪髪《そうはつ》の外なし、何を禄《ろく》に迎えん便《たより》もなければ」と云った。真女児は貴郎《あなた》が時どきここへ来ていっしょにいてくれるならいいと云って、金銀《こがねしろがね》を餝った太刀を出して来て、これは前《さき》の夫の帯びていたものだと云ってくれた。 豊雄は真女児に是非泊ってゆけと止められたが、家へ無断で泊っては叱《しか》られるから、明日の晩泊ってもかまわないようにして来ると云って帰って来たが、朝になって兄の太郎《たろう》は、地曳網《じびきあみ》のかまえをするつもりで、外へ出ようと思って豊雄の閨房《ねや》の前を通りながら見ると、豊雄の枕頭《まくらもと》に置いた太刀が消え残《のこり》の灯《ともしび》にきらきらと光っていた。太郎は驚いて聞くと、某人《さるひと》からもらったものだと云った。父親も聞きつけてそこへ来、母親も来て詮議《せんぎ》すると、直接それを云うは恥かしいと云うので、太郎の妻がそれを聞くことになった。そこで、豊雄が真女児のことを云うと、嫂《あによめ》は、「男子《おのこ》のひとり寝し給うが、兼《かね》ていとおしかりつるに、いとよきことぞ」と云ってその夜《よ》太郎に豊雄に女のできたことを話した。太郎は眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、「この国の守《かみ》の下司に、県の何某と云う人を聞かず、我家|保正《おさ》なればさる人の亡くなり給いしを聞えぬ事あらじを」と云って彼《か》の太刀を精《くわ》しく見て驚いた。それは都の大臣殿《おおいどの》から熊野権現《くまのごんげん》に奉ったもので、そのころ盗まれた神宝《かんだから》の一つであった。父親は太郎からそれを聞いて、「他よりあらわれなば、この家をも絶《たや》されん、祖《みおや》の為《ため》子孫《のち》の為には、不孝の子一人|惜《おし》からじ、明《あす》は訴え出《い》でよ」と云って大宮司《だいぐじ》の許《もと》へ訴えさした。大宮司の許へ来て盗人の詮議をしていた助《すけ》の君《きみ》文室広之《ぶんやのひろゆき》は、武士十人ばかりをやって豊雄を捕えさした。 豊雄は涙を流して身の明しを立てようとした。

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