気のぼりてくるしき病《やまい》

真女児は、「我身|稚《おさなき》より、人おおき所、或《あるい》は道の長手《ながて》をあゆみては、必ず気のぼりてくるしき病《やまい》あれば、従駕《とも》にぞ出立《いでた》ちはべらぬぞいと憂《うれた》けれ」と云うのを無理に伴れて往った。そして、何某《なにがし》の院に往き、滝の傍を歩いて往ったところで、髪は績麻《うみそ》をつかねたような翁が来て、「あやし、この邪神《あしきかみ》、など人を惑《まどわ》す」と云うと、真女児と少女は滝の中に飛び込んだが、それと共に雲は摺墨《するすみ》をうちこぼしたる如《ごと》く、雨は篠《しの》を乱して降って来た。翁はあわてて惑う人々を案内して人家のある所まで伴れて往ってくれた。翁は当麻《たぎま》の酒人《きびと》と云う神奴《かんぬし》の一人であった。翁は豊雄に向って、「邪神は年経《としへ》たる蛇《おろち》なり、かれが性《さが》は婬《みだら》なる物にて、牛と孳《つる》みては麟《りん》を生み、馬とあいては竜馬《りゅうめ》を生むといえり、この魅《まど》わせつるも、はた、そこの秀麗《かおよき》に奸《たわ》けたると見えたり」と云って誡《いまし》めた。 豊雄は夢のさめたようになって紀の国へ帰った。一家の者は豊雄がこんな目に逢うのも独りであるからだと云って、妻になる女を探していると、柴の里の庄司《しょうじ》の一人|女子《むすめ》で、大内《おおうち》の采女《うねめ》にあずかっていたのが婿を迎えることになり、媒氏《なこうど》をもって豊雄の家へ云って来た。豊雄の家でも喜んで約束をしたので、庄司の家では女子《むすめ》を都へ迎いにやった。その女子の名は富子《とみこ》、やがて富子が都から帰って来ると、豊雄はその家に迎えられたが、二日目の夜になって、豊雄はよきほどに酔って、「年来《としごろ》の大内住《うちずみ》に、辺鄙《いなか》の人は将《はた》うるさくまさん、かの御《おん》わたりにては、何の中将、宰相などいうに添いぶし給うらん、今更にくくこそおぼゆれ」などと云って戯《たわむ》れかかると、富子は顔をあげて「古き契《ちぎり》を忘れ給いて、かくことなる事なき人を時めかし給うこそ、こなたよりまして悪《にく》くなれ」と云ったが、その声は真女児の声であった。豊雄はわなわなとふるえた。「他人《あだしひと》のいうことをまことしくおぼして、強《あながち》に遠ざけ給わんには、恨み報《むく》いん、紀路《きじ》の山々さばかり高くとも、君が血をもて峰[#「峰」は底本では「蜂」]より谷に灌《そそ》ぎくださん」と怪しき声は云った。「吾君いかにむつかり給う、こうめでたき御契《おんちぎり》なるは」と云って屏風《びょうぶ》のうしろから出て来たのは彼《か》の少女であった。 翌日になって豊雄は閨房《ねや》から逃げ出して庄司に話した。

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