何気ない四方八方《よもやま》のお話

 始めは何気ない四方八方《よもやま》のお話を遊ばしていらしたのですが、軈て印度で飼い馴らしたという恐しい毒のある黒蛇の籠を出してお見せになり、これを放すと直ぐ人の首筋に噛みつくの、これに噛まれると見る間に顔が変り、二た目と見られない癩病患者のようになるのと、そろそろ大奥様をお脅《ど》かしになり、遂々無体な真似をなさろうと遊ばすので、大奥様は急に怖しくなって、その場を逃げ出そうとなさるのを、弟様は力強い手でむずと肩を掴かみ、扉の隅に押しつけて、熱い息を首筋に浴せながら、「そんなに厭なんですか、私は真剣なんです、命を投げ出しているんですよ。死ぬ覚悟で――。あなたは私の心を、この私の思いをむざむざと踏みにじってしまう気なんですか。今日の日の来るのを、ああ私は何年待っていたと思います?」 弟様の眼からは涙がこぼれて頬を伝わりました。大奥様はまるで電気にでもかけられたように足がすくみ、身動きも出来なくなり、弟様の勢《いきおい》にすっかり威圧されておしまいになりました、昔の人のいう魔がさしたとでも申すのでしょうか。お心では憤りに燃えていらっしゃるにもかかわらず、この我武者《がむしゃ》らな、気狂いのように熱愛する弟様の暴力に一種の魅力をさえ感じたと仰しゃいました。そしてまるで無抵抗で、あの方の思うままになっておしまいになりました。 しかしそれはほんの通り魔のような過失で、全く一時の感情で、弟様に対して新らしい愛情が起ったのではございません。その証拠にはその時以来、弟様に対する憎悪の念は益々深くなり、仇敵のような間柄におなりになったと仰しゃいました。殺してもあきたらない人だ、恐しい悪魔だと大奥様は身震いなさりながらお泣きになりました。 不運にも御姙娠なすって、煩悶は更に加わりました。そこへ間もなく大旦那様の御変死という事件が起ったのでございます。 大旦那様は弟様と御一緒に猟にお出かけになりまして、断崖から谷底へお落になり、大怪我を遊ばしてお亡くなりになったということになって居ます。現場を見た人もあり、只今もそう信ぜられて居ります。

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